めがねさんの百合ごはん雑記

百合とごはんと日常について。

投資のこと

(だらけた話であって、学びは特にないです)

10年くらい前から投資信託をやってて、よくわかんないまま積み立ててよくわかんないまま損切りしたら利確したり、もう知らねえよウワアアアン……ってなったり、また忘れた頃にやってみたり、まあそんな感じなので知識とかかけらもないまんま10年過ごしてしまった。

日経平均が高いうちに利確しようと思って、下手に利確したら税金をごっそり持っていかれて白目になったのが最近。

社会人なりたてかそんなもんで買った投資の本で「頭の悪いお前はとにかくドルコスト平均法で定額積立で手数料安いインデックスファンドを買っとけ。複数分散が基本だがめんどくさかったらバランス型」と書いてありそれを(基本的には)忠実に守っているつもりだったが、なんやかやで弱気になった時期もあり、あの時日和らずにコツコツ積み立ててれば今頃3倍になってたのかあと思わなくはない。インデックス信者をちゃんと続けていればよかったのだが信心深さが足りなかった。

言うても、大した額を積んでるわけでもないので、現金が余っていて、しかし一度にどこかにぶち込む勇気もないので、悩ましい。

 

前述の通り、利確したらしこたま税金取られたのでiDeCoやらnisaやらで節税したい気持ちもあるが、まあしかし世の中にはなんと信用できない情報の多いことか。

迷うばかりで決められないのが人間であり。というか、迷ってばかりで「この金はこれに使う」などをひたすら避けてきた人生だから今困っているのだろうが。

 

信託報酬を出来るだけ安いやつで買おうとして、それなら投信よりETFか?と血迷ってはみるものの、買うときに手数料がかかるんじゃあなんだか身も蓋もない。

ましてやETFを積立するためにロボアドバイザーに手数料を払うなんてどう考えても馬鹿げている。

昨今のバランスファンド、安いところだと信託報酬が0.15%代だったりで、債券系のインデックスと同じくらいだったりするので、なんかもう全部これでええんちゃうか、と思ったりもする。昔は安くても0.5%ぐらい取られてたような。

バランスファンドの中の人(AIかも知らんが)に、君はもう馬鹿なままでいいよ、所詮アマチュアの人間なんだから、と言われたような気がして、でもそれはそれで悔しくて、葛藤する日々である。南無南無。

Twitterのアカウントを一時的に削除しました

お題「気分転換」

 

気分転換として、Twitterアカウント削除をしました。これは一時的なものであり、1週間ほど不在になる予定です。

コミケ申し込み(12/9)には多分間に合わないんですが、例大祭に向けて、新刊のアイデアを練るために自分の心と深く対話しようかなと思いました。

自分にまだ何が書けるのか、何が書きたいのか。そういうことを考えるためのデジタルデトックスというやつです。まあ、早速ブログ更新してるあたり、あまり意味がなさそうだが。そしてこのブログを見てる人いなさそう……。あとで個人サイトにもリンクを貼っておこう。

何はともあれ、そのうち戻ってきますのでご心配なさらないでください。

では。

 

 

創作百合ネタ出しメモ

個人的なメモ。タイムスタンプ代わりに、公開投稿にしておく。


天狗の学校、思いついた時は普通に東方二次として書こうとしてたけど、別に東方キャラでやる必要ないよなと思い始めてきた。


TRUMPシリーズの影響が大きくて、相手の翼をもいだり、片方の羽を共有したり、雛の季節と呼ばれる思春期があったりする。


和洋折衷の学生服を着ていたりする。


カッコーの巣の上で」のような痛さを孕んでいたりする感じの。


クラシカルな百合ものとか少年愛の文脈の。

ギムナジウム、ガラスの温室のバラ、図書館の張り出し窓。転校生。自殺した下級生の噂話。隠された手紙。ダブった先輩。お茶会。


繊細な心の機微というやつ。ガラスのようにはりつめていて。不用意に触れたら怪我をしそうな。

ひとりの孤独な子供について。

孤独と孤独が寄り添うことについて。


大人になれば忘れてしまうような。


(まだピンと来ていないので、引き続き考えていこう)



創作百合を練習しようとしている。

最近どうもいろいろと手詰まり感が出てきたので、文章上手くなりたいな~という欲求の高まりがあり(思秋期……)、とりあえず百合小説を練習しようと思ったので、一次創作(オリジナル)で、かつ手癖になってしまう擬人化ではない方向で、百合小説を考えてみようとしている。

とりあえず一日一個ぐらいのペースでプロットとキャラを作っていく感じ。気に入ったのがあったら、本文を書くかもしれない。

 

昨日寝ながら考えたオリキャラ百合。

保険の営業のお姉さん(それなりに普通のOLさんだけど、顔の良い女に弱い。ライトなヅカオタ)が、生命保険の説明に行った幸が薄そうな人妻(何年か前に引退した花組トップスターに似ている風貌の顔の良さ)に一目惚れしてしまい、毎日相手のことを考えている有様。
そして旦那氏のことがしぬほとうらやましくなってしまい、ついついご不幸をお祈り申し上げてしまうなどして「いやいやそれは流石にマズいやろ」などとなっているところに、ある日、マジで旦那氏の大怪我がある。

仕事にかこつけてお見舞いに伺ったところ、人妻氏が疲れ切った顔で「私の方がしんでしまいたい」などポロリとこぼされたりなどして大変訳ありなご様子なのでついかっとなってOL氏、「今度飲みませんか、仕事抜きで」などと人妻氏を誘ったりなどする、という感じの、いわゆるサイコパス診断の「また会える」みたいなやつを考えていたりなどした。ほんのりダークネスな性癖が垣間見える。

 

今日、風呂に入りながら考えたオリジ百合。

いわゆるなろう系ファンタジーで、冒険のかなり序盤の迷いの森から出られない方向音痴女勇者と、彼女を気に入ってしまったので森から出したくないエルフの王女、というやつ。なんかドタバタ4コマっぽい。

 

 

東方関連ふるさと納税リスト(ざっくり版。あとで追記する)

(2017年11月25日 佐渡市を追加)
おいしいご飯とお酒を楽しみたい人かつ東方百合厨にオススメです(つまり私です)

博麗神社モデル(諸説あり)の長野県白馬村
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 長野県白馬村[はくばむら]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

ハクレイ酒造のある京都府宮津市
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 京都府宮津市[みやづし]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

「蓬莱」「秘封蓬莱」を作っている「渡辺酒造」のある岐阜県飛騨市
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 岐阜県飛騨市[ひだし]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

洩矢神社のある長野県岡谷市
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 長野県岡谷市[おかやし]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

諏訪湖のある長野県諏訪市
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 長野県諏訪市「ものづくりの技術を暮らしに。男の逸品特集」

天狗つながり(射命丸文ほか)
高尾山のある東京都八王子市
八王子市の地域情報、お礼品一覧 | ふるさと納税なら「さとふる」

鬼つながり(伊吹萃香星熊勇儀、茨木華仙)
大江山のある京都府福知山市
福知山市の地域情報、お礼品一覧 | ふるさと納税なら「さとふる」

秘封倶楽部つながり
デンデラ野のある岩手県遠野市
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 岩手県遠野市[とおのし]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

平安京金閣寺の一枚天井(など)がある京都府京都市
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 京都府京都市[きょうとし]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

姫神社といえば京都府宇治市
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 京都府宇治市[うじし]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

毘沙門天を祀る信貴山のある奈良県平群町
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 奈良県平群町[へぐりちょう]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

飛鳥時代に都があったと言われる奈良県明日香村
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 奈良県明日香村[あすかむら]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

聖徳太子廟などがある河内飛鳥こと大阪府太子町
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 大阪府太子町[たいしちょう]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

大神神社がある奈良県桜井市
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 奈良県桜井市[さくらいし]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

布都御魂剣(レプリカ)が現存する鹿島神宮がある茨城県鹿島市
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 佐賀県鹿島市[かしまし]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

布都御魂剣が収められたとされる石上神宮がある奈良県天理市
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 奈良県天理市[てんりし]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

古明地という名字が多いと言われる山梨県山梨市(牧丘町)
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 山梨県山梨市[やまなしし]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

西行法師の没した弘川寺のある大阪府河南町
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 大阪府河南町[かなんちょう]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

二ッ岩マミゾウの故郷である新潟県佐渡市
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス] | 新潟県佐渡市[さどし]のふるさと納税で選べるお礼の品・使い道

作家ごっこをしたい人のための5つの小道具メモ(手書き編)

これでも時々SS書きなどしているので、道具に凝ってみたら何かいいことあるかなあなどと思って買ってみたりはするけどもなかなか上手くいきません。ともあれ気分だけは良くなるというわけで個人的なメモがてら。

(本当は手書きをしても首肩が痛くならない机か書見台などが欲しいのですが誰か知りませんか)

◉万年筆
http://coacervate.jugem.jp/?eid=344

太宰治:エバーシャープの万年筆(スカイラインという説あり)
http://blogs.yahoo.co.jp/miyakojimakinyu/35941878.html

夏目漱石:デラルーのオノト(復刻版あり。丸善)
http://www.boq.jp/closeup/mensba/2009/0715/index.htm

吉屋信子:シェーファー

その他
http://aoiyugure.blog62.fc2.com/blog-entry-872.html

谷崎潤一郎:毛筆
芥川龍之介:つけペン



◉インク瓶
万年筆にあったものを使うべき。あとはお好み。
パイロット色彩雫
http://www.pilot.co.jp/products/pen/fountain/iroshizuku/

ヤンセン 作家シリーズ
http://www.wada-denki.co.jp/bunguho/ctlg0808.html

一番安いのは国産メーカーの純正インク。


◉原稿用紙
宮沢賢治:丸善二号原稿用紙
http://www.ihatov.cc/blog/archives/2005/09/post_318.htm

夏目漱石:相馬屋
http://www.soumaya.co.jp/
または、漱石山房原稿用箋
http://www.kanabun.or.jp/webshop/1864/

横溝正史:復刻版原稿用紙
http://www.bumpodo.co.jp/hukkoku/

川端康成ほか:満寿屋
http://www.asakusa-masuya.co.jp/products/manuscript-paper.html



◉ブロッターと吸取り紙
http://blog.goo.ne.jp/dashelo222/e/b2f18deaea5238150892ed2d899def2b

◉名入り便箋
http://mtribe.hatenablog.jp/entry/2015/12/09/164007

映画版ハーモニーのパンフレット読んだり、設定を妄想したりした(6000字あります)


(ちなみに長い方の感想はこちらです。)
http://i0-0i.hateblo.jp/entry/20151115/1447597904

映画版の第一回の視聴を終えて、あまりに大興奮していたが故にパンフを買い忘れ、翌日パンフだけ買いに映画館に行くというていたらくであった。
パンフを読んでまたいくつか書き残しておきたいことが生じたので、備忘のために書いておく。あと、たくさん妄想したので放流する。

アートワーク
・赤い血管が浮き出たようなビル群、静止画であらためて見てみると、すごく卑猥だと思った。勃起したちんこみたいだ(直球)

なかむら監督について
AKIRA美術監督だということを知って、ああどうりで気持ち悪さと居心地の悪さがあるはずだと思った。確かに言われてみると、ヌァザのいた川は金田がバイクで疾走した川であったり、薄ピンクの町並みの色調はAKIRA発動後の、なんかどろどろの肉塊がうごめいていた世界であるような、そんな気がしてくる。
・性的虐待を受けていたミァハの生涯を考えると確かに自分の性や肉体のあり方について確認したいというか、強いこだわりを持っているという考察の仕方もあると思った。後述する。

マイケル監督について
・長編二作目がハーモニーというのは荷が重かったかもしれないとは思いつつ、鉄コン筋クリートはすげーよかったので、これからもガンバってほしいと思いました。

各キャストインタビュー
・トァンについて。透明な存在というのは、はっとした。そう言われてみるとそうかもしれない。
・ミァハについて。暗さがあるというのはそうかもしれない。でもそもそもたぶん、この声質のヒトをミァハに持ってくるキャスティングの発想がすごいのだと思う。
・すざきさん。いつ世界が滅びても大丈夫なように、大事なものをポシェットに入れて抱き抱えて寝る子供時代とかかわいすぎか……。
・オスカーおばさん。トァンを見ていると昔の自分のようで心配してしまう保健室の先生というのがすごく百合ツボを刺激された。

以下、考察というか曲解というか妄想というか。
1。本を読んでいたのは誰か。
前回、力の入った方の感想で述べたように、最後にいたのはキアンだと思っていたのだけれど、なかむら監督のコメントによればどうやらそうじゃないらしいというのを見てがっくしというか。まあでも一回見ただけじゃわかんないよね……。
トァンたちの物語を読んでいたのが無名の十五歳の少女だというのは、うーん、どうなんだろうなー。わかんないなー。それはまあそうかもしれないけどなー、せめてキアンの子供とか、キアンの幽霊だとか……。
なんかもう完全に「こうだったらよかった」にしかならないあたり、わたしの脳内にしか存在しないハーモニーしか見ていなかった感がすごい。
ただ、ふっと思ったのが、「本を手に取って読んでいる」という動作ではなくて、「いすに座って眼の前のモノリスをみている」という動作にしていることで、少なくともスクリーンの前に座っている俺らとかぶせる意図はあったんじゃないかなあと。
いや、だからこそわたし、とても悲しいことにもう十五歳の少女じゃないので(憤怒)、大人になったキアンが読んでいる方が感情移入しやすいっていう話なんですけども。完全にこれはもう、どうやったらわたしが楽しいかというだけの話なんですね、はい。すいませんでした。

2。ミァハと身体性
やたらとレズ描写が多い映画になっていることの意味について考えてみようとする。なかむら監督の話と関連して。
ミァハが八歳になって日本に来るまでの性的虐待というのがどういう作用を少女にもたらすのかっていうのを考えてみたわけなんですが、何歳でさらわれてきて、何年間虐待にあったのかはさっぱりわかりませんが、少なくとも八歳の少女に突き入れるってのは尋常の暴力じゃないというか、それ、もはや馬とかウシに入れた方が気持ちいいんじゃないのっていうレベルだわな、と思いました。いや、ヒトガタをしていることが重要なんだったらそれはそれですが。八歳じゃないとダメな性癖のロシア兵だったのか、それとも他に女がいなかったのかはわかりませんが、想像を越えている。(でもたぶん現実にもあるんだろうなとはうっすら思う。)
銃口を口にくわえさせられて何度も突かれるということ、自らの意志とは関係なく肉体を痛めつけられるということ。普通は苦痛があるとそれから逃避するために二重人格とかになりそうなものだけれど、ミァハの場合は個や意識が生まれたというのがなかなか想像しがたい。
それは少数民族が持っていた先天的な疑似ハーモニーシステムがその場所では働かなかったことに起因するのではないかという仮説を唱えてみる。
誘拐されてきた先では意識を共有する他の少数民族が周りにいなかったので、完全にセパレートな状態になっていると仮定したときに、この少数民族はどのような振る舞いをしたのだろうか。
性的な状況を「プライベートな」状況と呼ぶ未来の習慣と同じように、性交渉中というのはヒトという生き物にとって非常に無防備で脆弱な状況であり、そのため安全が確保されていなければならない。従って「プライベートな」状況というのは、限りなくスタンドアローンに近く、セキュアでなければならない。
少なくともミァハと疑似ハーモニーシステムを介してつながることができる相手、ミァハを守ってくれる相手というのはいなかった。ミァハはそのときに本当の孤独な状況であったはず。唯一であるハードウェアとしての肉体が完全に孤立したとき、その内面も個を生じたということなのではないか。
そしてそのとき、徹底的に自分の身体というものが他人の思うがままにされて、筆舌につくしがたい苦痛を与えられた。
ミァハは多くの初めてを経験する。
初めての「自分」という個、初めての「自分の」身体、そして初めて他者との通信拒絶状態というもの。初めての非合理や理不尽。
相手の意図がわからないまま、相手の言う通りに動かなければならず、しかも言う通りにしてもしなくても殴られる、という理不尽な状況。
相手のことが理解出来ないという状況それ自体が初めてであったはずだ

それを理解したいという欲求があったのではないか。
自分が理不尽に振る舞った結果、相手が戸惑う。

まるでロシア兵がミァハにしたのと同じことを、ミァハがトァンにしてみてもいいのかもしれない。
もし日本で銃を手に入れる方法があったなら、トァンに突きつけていたかもしれない。
突き入れることが可能な性器がついていたら突き入れていたかもしれない。

また、こうも考えられる。
伊藤計劃トリビュートの一編 伏見 完の「仮想の在処」にこのようなセリフがある。
(余談だけどこの短編、ほんのり百合で、すごいよかったです。下記のセリフは男の子のセリフだけど、メインは姉妹の話です)

「剣道をやっていると、竹刀が自分の体の延長みたいに思えてくることがある。そういう時、ぼくは必ず思った。ぼくのこの体も、やっぱり別の誰かの延長じゃないか、って。……たとえば、父の。(中略)父は『正しい剣道』をするための『正しい息子』が欲しくて、その通りにした。ぼくは父が振るった竹刀なんだ。父がそう思う通りに作り、動かした体だ。だからこれは、ぼくの体じゃない(中略)それがなんであれ、思った通りに動かせるなら、それはもう自分の体だろ?」


ミァハが個を持っていなかったとき、体はあったが、意識はなかった。
ミァハが個を持ち始めたとき、意識はあったが、自分の意のままになる体はなかった。他者に蹂躙され、自らの意志の元には動かせない体は、たとえ自分の意志がその体に紐付いていたとしても、自分の体とは思えないのではないか。(虐待された子供の多くに、離人症、つまり自分のことであるはずなのにまるで他人事のように感じられる症状が伴うように?)

ミァハが日本に来てから、はじめてミァハは自分の意識と自分の体というものを得ることが出来た。そして前述のように、「わたしの体」と呼べるものはハードウェアとしての自分の肉体だけにとどまらない。自分が使う道具、自分の意のままに沿う他人、そういうものまで含めて、自分の体と呼ぶことが出来る。
ミァハの戸籍上の両親は、ミァハに優しく接しただろう。けれど彼女たちは凡人だった。ミァハの賢さの前には道具も同然であったに違いない。
次に学校だ。ミァハは、トァンやキアンのような特別な存在探していたのだという。それはどういうことか。
ミァハは自分の体と他人の体の境界線を探っていたのではないか。つまり、意のままにならない可能性がある他人を探していた。それがトァンとキアンだったと考えることが出来る。
完全に体制側の人間では道具にならない。しかしただの凡人では簡単に道具になってしまう。そこの境界線上にいたのがキアンとトァンだったのではないか。
トァンもキアンも彼女の言葉を聞いて心酔していた。けれども結果的にはミァハの道具たりえなかった。同志ではあったし、サポーターでもあったけれど、道具ではなかったというところにポイントがあるのかもしれない。
その上で、ミァハはトァンと「プライベート」なことをしようとする。しかもキアンの眼の前で。
肉体によって干渉し、誘惑し、侵略する。それによってトァンは陥落するか否か。自分の身体の延長上に他人の体を位置づけることが出来るか否か

赤子が指しゃぶりをするのは、どこからどこまでが自分の体なのかを確かめる行為なのだという。ミァハがトァンに口づけをしていたのは、自らの体の領域を確認する行為だったのかもしれない。

3。過渡期におけるWatch Meと遺伝子における平等性と社会
映画の上ではナノマシンの存在がまるで無いように感じられたが、パンフのラフスケッチには一応記述があった。しかしあまり言及されていなかったように感じたのでどこまで設定上生き延びていたのかはわからない。
Watch Meによって個人の遺伝子情報がデータとして存在しているにも関わらず個人認証が静脈認証であることについてもう少し妄想したいと思う。
前の長い感想において、私はこう書いた。

「つまり個体の識別は個人の遺伝情報(どのように生まれたか)によってのみ行われるのではなくて、外部の表象(どんな静脈、どんな指先、どんな指紋、どんな風に組織を形作ったか)までを含めて個人なのだ。」

ここからもう少し妄想を膨らませる。ついったの方でこの世界におけるLGBTはどんなあり方をしているのかについて考えたことをメモした。

「ハーモニー世界にLGBTがいたらむしろ卵子バンク精子バンクに登録して少しでも社会貢献しいようとするんじゃないかな。社会評価下げないためにも」
「曲がりなりにも公共の福祉と称するならこれまでの社会科学的知見から算出して決して無視できない割合で存在するセクシャルマイノリティ福祉を考慮せず社会設計するはずがないので子供作りたくても作れない夫婦のために卵子精子バンクに登録するLGBTが美しいモデルケースとして教科書に載る」

だんだん「ぼくのかんがえたさいきょうのはーもにー」になりつつあるが気にしてはいけない。
個人の認証について遺伝子情報ではなく静脈認証を用いることの意味が、個人の遺伝子の出所、つまり誰が遺伝上の父親であり母親であるかについてが、実際の家族構成と食い違っている状況が一般的なのだとしたら、というIFを考えてみる。
たとえば、壮年の男女がひとりずつおり、その間にひとりの小さな子供がいるとする。大変仲むつまじい家族として振る舞っているとする。家族でお買い物だレストランだ、わあいお子さまランチ~、よおしパパなんでも買っちゃうぞー、ママもたまにはぜいたくしたいもの、きゃっきゃうふふ、みたいな状況。
さて、クレジットカードでお買い物をするとなると、個人認証をする必要が出てくる。もしこれが21世紀初頭の標準的な家族だとしたらいちいち子供は自分の出自を考え込まなくてすむだろう。だがハーモニー世界では、自分の社会的貢献度を高めるために様々な努力をする。子供は養子かもしれないし、不妊治療(あるいは年を取ってからの再婚など)の一環としてどこかの精子卵子バンクからの提供を受けて出来た子供かもしれない。そもそも外見上男性または女性に見える片方あるいは両方はFtMまたはMtFかもしれない。そういう様々な繊細な由来を決済するごとに詳らかにする遺伝子情報は公共の福祉のあり方としてふさわしいものと言えるだろうか。
個人の遺伝情報は本当はたいした問題ではない。堂々と胸を張って生きて、社会貢献すればよい。
だから、遺伝子情報は必ずしも個人の認証たりえない。どのように生まれたか(=遺伝子情報)が問題なのではなく、どのように成長してきたか(静脈認証)が問題なのではないだろうか。

まあそれでも遺伝病関連でのリスク評価なんかはある程度は公開されるんだろうけどな。

ハーモニー世界における貧困のあり方について考える。
個人の教育深度は社会的評価につながるのか。もちろんつながる。本人が努力することは前提だけれど、ボランティアにおける貢献度にせよ、仕事における貢献度にせよ、教育によって高められた個人の能力は高ければ高い程、合理的に社会を改善するのに役に立つはずだ。
この時の改善というのは、社会の不平等をただす方向にいくはずだ。つまりは「困ったひとがいたら助けてあげなさい」「苦しんでいるヒトがいたら相談にのってあげなさい」っということだ。
だから可能な限り富と幸福の再分配が行われる一方で、悪しき社会主義に陥ることを防ぐために社会全体の効率を上げるための仕掛けが必要になる。それは恐怖と一対でなければならない。たぶんそれは枠からはずれることに対する恐怖。社会の枠から外れると、途端にひどいことになるという薄皮一枚の恐怖感。それこそがトァンが感じていた息苦しさなのだろう。
ある程度の苦しさ、ある程度の困難までは、周りの人々は救ってくれる。助けられる範囲ならば。
だが、苦しさがある臨界点を突破したとたんに、周りの人々が一斉にそっぽを向き始める。それがつまり「戦争の話は聞きたくない」ということなのだろう。
以前、Twitterで回ってきた、「なぜ痴漢被害を受けた話をすると心ない罵倒が始まるのか」という話にも似ている。ヒトは他人の悲しい話や不合理な不幸の話を聞くと共感してしまって、そのストレスを解決するための手段として、因果応報だったのではないか、という仮説を取りたがるという話だった気がする(うろおぼえなのであとでソースはる)
他人の同情や親切は無限ではない。それは社会リソースなので無料ではなく、明確に「貸し」だ。社会的弱者は確かに助けてもらえる。だが、それは明確に社会的評価として数値化され、ジャッジされる。社会に寄りかかってばかりの存在は厳しく淘汰されるのではないか。それをこの世界では「貧困」と定義しているのではないか。
だからこそ、何かのセラピーを受けたら出来るだけ早く立ち直らなければならない。回復出来ない傷というものはあってはならない、ということになる。もしもそれを生じてしまったら、秘匿しないとずっと社会的リソースを食い続けることになるのではないか。

頭使いすぎたのでアホな妄想とかもしようと思ったけど、6000文字こえてるからまとまらないままとりあえず投げる。ぽーい。